大阪府大阪市阿倍野区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
旧くからの閑静な住宅地、大阪で第三局となる高度商業施設集積の街
大阪市阿倍野区は、古くから大阪南部の交通の要衝であり、名所・旧跡・史跡も多く、住宅でありながら商業の町としても発展してきた。なかでも阿倍野橋および天王寺は、大阪の南の玄関口として各種の交通機関が集結し、多数の乗降客で賑わう一大ターミナルとなっている。
大阪府・大阪市阿倍野区のマンション
2018年に大阪府・大阪市阿倍野区で販売された新築マンションは466戸で、相場価格は3732万円~5931万円だった。中古マンション相場価格は2240万円~6720万円だ。
2019年1月現在、大阪市阿倍野区の人口は10万9551人で、総世帯数は5万4287世帯だ。
明治初期まで同地域は、ひなびた農村で、近郊に米・麦をはじめカブラ・ダイコン・カボチャ・ナタネなどを供給していたという。
ところが、大阪の発展にともなって、明治中期(1890年代)になると、高台にあって借景に優れた住宅地として注目されるようになった。1900年(明治33年)に、天王寺西門~東天下茶屋間(後に上住吉まで延伸)で大阪馬車鉄道株式会社による馬車鉄道が開通し、斬新な交通機関として人気を集めた。その鉄道は1909年(明治42年)に南海電鉄と合併して電車に換装され、現在でも阪堺上町線の「チンチン電車」として親しまれている。
大正末期に大阪市編入、計画的な大規模都市開発が進む
1925年(大正14年)に、現在の阿倍野区エリアを含む天王寺村は、住吉区として大阪市に編入された。
大阪市は、昭和の初めから1935年(昭和10年)頃まで飛躍的に発展する。大正時代に計画された大規模な都市整備が進み、1937年(昭和12年)に御堂筋が完成する。1938年(昭和13年)、地下鉄が梅田~難波間から天王寺まで延伸となり天王寺・阿部野橋ターミナルの乗降客は増え続けた。
1943年(昭和18年)4月1日、大阪市の区制再編成で、住吉区は阿倍野区、住吉区、東住吉区に分区となり、世帯数3万79世帯、人口12万7017人、面積が5.87平方キロメートルの阿倍野区が誕生した。
阿倍野区は、先の大戦による被害は比較的少なかったものの、終戦直後の阿倍野橋ターミナル周辺は、被災者や復員兵、そして食料買い出しの人々で終日ごった返し、夜の駅構内は、雑魚寝をする人たちであふれたという。こうした混乱状態が落ち着き、1948年(昭和23年)4月に、阿倍野百貨店が、全館オープン(同年8月に近鉄百貨店阿倍野店と改称)した。阿倍野の街に賑わいが戻る。
再開された地下鉄工事により、1951年(昭和26年)の天王寺~昭和町開通に続き、翌年には西田辺まで延長。谷町線も1968年(昭和43年)に谷町4丁目~天王寺、1980年(昭和55年)に天王寺~八尾南が開通した。
「あべのハルカス」が代表する大阪第三局の商業集積地
現在、阿部野橋周辺は大規模商業施設が集中する商業地区だ。国道25号線を境界として接する天王寺区とともに「天王寺阿倍野」という位置づけで、大阪市南の大規模ターミナルとなっている。「梅田」「心斎橋難波」に次ぐ大阪第三の繁華街である。
2014年3月に全面開業した「あべのハルカス」は、JRと地下鉄の「天王寺駅」と近鉄「大阪阿部野橋駅」のターミナルに立地する日本一の「高さ300m」を誇る超高層ビル。「あべのハルカス美術館」、360室の客室を有する「大阪マリオット都ホテル」、「近鉄百貨店本店」などのほかオフィスが入居する複合ビルだ。1階が阿部野橋駅で地下1階が天王寺駅。
あべのハルカスの「高さ日本一」は、三菱地所が東京駅日本橋口で開発中の「大手町連鎖型再開発プロジェクト第4次事業」における超高層390mのビルが完成するまで維持される。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)