大阪府大阪市住之江区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
国際・国内航路の拠点港「南港」とともに国際情報都市を標榜する街
大阪市住之江区は同市の南西部に位置する行政区だ。北を大正区と西成区に、東を住吉区に接し、南は大和川を隔てて堺市に接し、西は大阪港に面している。1974年7月、住吉区から分離して誕生した。
大阪府・大阪市住之江区のマンション
2018年に大阪府・大阪市住之江区で販売された新築マンションは108戸。中古マンション相場価格は1750万円~3220万円である。
大阪市住之江区の人口は、2019年1月現在、12万2226人で、総世帯数は6万2948世帯だった。同区の総面積は20.61平方キロメートルであり、大阪市24区でもっとも大きな行政区である。そのため、人口密度も此花区に次いで低い。
明治後期から区東部の南海鉄道沿線地域で市街地化が進む
大阪市住之江区は、上町台地の西にひろがり、区域の大部分は古代、海だった。大阪湾の体積活動で砂州が形成され陸地ができあがり、江戸時代の新田開発、明治時代以降の埋め立てによって、現在の陸地が形成されたとされる。
明治時代の町村制施行にともなって現住之江区の区域には、住吉郡墨江村や敷津村、安立町、住吉村などができた。
明治後期より大正にかけ、南海鉄道の沿線にあたる粉浜や安立など現在の区東部に相当する地域で市街地化が進み、それにともなって人口が増加する。
また、明治時代後期頃までは農村だった北加賀屋に、第一次世界大戦を契機に木津川筋に造船所が進出し、造船関連の工業地帯へと変化した。同時に、従業員たちの住宅地として発展する。
1925年(大正14年)の大阪市第2次市域拡張により、現区域にあたる町村は大阪市に編入となる。これによって、旧住吉郡の全町村に東成郡天王寺村を加えた地域が住吉区となった。
1943年(昭和18年)、大阪市の行政区境界見直しで、住吉区は住吉区、阿倍野区、東住吉区の3行政区に分離したが、現在の住之江区域は住吉区に属した。冒頭で記したとおり、住之江区は、1974年7月、住吉区から分離して誕生した。
住之江区の発足と同時に、南港地区を除く全域で住居表示を実施。大半は旧来の地名を生かして町名を設定したが、この時に旧来の釜口町(現在の平林北・平林南)、庄左衛門町(現在の西加賀屋)、嬰木町(現在の西加賀屋)の町名が消滅、また従来の南加賀屋町の一部と北島町の一部で新たに泉の町名を設定した。また南港地区は、1982年に住居表示を実施した。
国内最大級の国際・国内航路の拠点港「大阪南港」
住之江区西部にある大阪港南港は、国内最大級の国際・国内航路の拠点港である。大阪港は明治以降、国設国際貿易港として建設された神戸港とは対照的に、大阪市が自ら建設して運営に関わった市営港湾としての伝統がある国際港だ。
南港の原点として、昭和初期から開発が始まった住之江沖に計画された埋立地には、大正区船町にあった木津川飛行場の代替として国際空港をつくる構想もあったが、戦後本格化した埋め立ておよび造成により、弁天埠頭に代わるフェリーターミナルやコンテナ埠頭を設けた。
その後、南港水路以北の人工島である咲洲では「南港ポートタウン」の名称のもとで団地建設が進み、1977年から入居がスタートした街だ。
大阪港咲洲トンネルの開通により、都心へのアクセスがより一層確保され、ポートタウン北側の「コスモスクエア」では、「なにわの海の時空館」、国際見本市会場(インテックス大阪)、アジア太平洋トレードセンター(ATC)など、国際情報都市を標榜した街づくりが進んだ。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)