大阪府大阪市中央区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
1960年以降の人口減が転じ、大型高層マンション建設で95年から人口急増
大阪市中央区は、1989年(平成元年)2月、旧東区と旧南区の合区により誕生した。中央区域は、旧く飛鳥時代・奈良時代から国政の重要な地とされ、645年の「大化の改新」によって現在の中央区、難波宮が日本初の首都となった。当時から宮殿都市として市街地が形成され、近世の大坂城築城を経て今日に至る長い歴史をもっている。
なお、「中央区」という安易な名称は、東京都の特別区「中央区」を筆頭に、全国に計10カ所もあり、もっとも発足が古いのが東京都「中央区」(1947年、日本橋区と京橋区の合併で誕生)で、もっとも新しい中央区は2012年に区制施行した行政区・熊本市「中央区」だ。行政区でもっとも古い中央区は1972年4月に政令指定都市となった札幌市と福岡市である。
大阪府・大阪市中央区のマンション
2018年、大阪府・大阪市中央区で販売された新築マンションは2129戸。同区で販売した新築マンションの価格相場は、5011万円~8056万円で、中古マンション相場価格は2520万円~6930万円だった。中央区の総面積は8.87平方キロメートル。
2019年1月現在、中央区の人口は、9万9872人で、総世帯数は6万3930世帯。中央区の人口は1960年に13万3220人とピークに達し、 その後減少傾向が続き、1995年に5万2874人まで減少して底を打ち、現在は都心回帰指向が強くなって人口は急増傾向に。そう遠くない将来、10万人突破となりそうだ。
大阪市のまさに心臓部、経済・行政・文教の中心地
近代以降、同区域では、証券、薬、卸商などの経済活動が活発に展開され、商店街、百貨店、飲食店街で大いに賑いを見せるエリアだ。早くから大阪の心臓部として業務地化が進み、大阪府庁や大阪府警察本部は大阪城の西、同区大手前に建つ。同時に大阪府立大手前高校などが立地する文教地区でもある。
中央区北浜には1~2丁目の大阪証券取引所を中心とした金融ビル街であり、同4丁目は住友グループ企業の本社・本店オフィスが多く立地していることから「住友村」とも呼ばれる。
このように大阪中央区内の大部分がオフィス街・官庁街のため純粋な住宅地は限られており、大部分が中高層の団地やマンションで、低層住宅の戸建住宅やアパートは少ない。
旧東区は東を大阪環状線、南を長堀通・安堂寺橋通・順慶町通、西を西横堀川、北を土佐堀川・大川・寝屋川に囲まれた長方形のエリアだ。大阪のシンボルでもある大坂城や、江戸時代から大阪経済の中心地だった船場もこのエリアに含まれている。大阪市のステイタスエリアである。
その船場は、現在でも大阪の中心業務地域であり、かつての大坂町人文化の中心となったところで、船場言葉は江戸時代から戦前期にかけて規範的・標準的な大阪弁とされていた。
都市化で人口が減った中央区に都心回帰で高層マンション建設ラッシュが
同区の和泉町や糸屋町には比較的高層マンションが多いエリアとなっている。そのためか公園や学校も多い。同じように南に大きな公園・南大江公園がある粉川町もタワーマンションが多い住宅街だ。
前述したようにバブル経済期前段で居住に適さない都心としてドーナツ化現象が進んだ。が、その後のバブル崩壊によって老朽化したオフィスビル解体跡に高層マンションなどが建設され、人口増加につながった。なかでも谷町筋沿いのかつての東区だった中央区の東部、いわゆる上町台地の北端では、タワーマンションの建設ラッシュとなり、著しい人口増加となった。
同区には大阪城特別史跡地に広大な歴史公園として「大阪城公園」がある。本丸にそびえる大阪城天守閣は展望台と歴史博物館を兼ねた施設として有料公開されている。外郭東部(杉山地区)には、多くのコンサートが年間を通して催される大阪城ホールがあり、多目的グラウンドである太陽の広場、軟式野球場、野外音楽堂なども設けられている。
現在では大阪城公園を中心とした地域、なかでも杉山地区は森林公園となっており、外濠の水辺に集まる野鳥を眺めて家族連れが憩う姿も見られ、緑あふれる都心のオアシスとして住民の憩いの場となっている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)