大阪府泉大津市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
海浜埋め立てで市域を拡大した大阪のベッドタウン、コンパクトシティ
大阪府泉大津市は、大阪府の南部に位置し、北部・東部は高石市と和泉市、南部は大津川を境として泉北郡忠岡町と隣接する。西北部は大阪湾に面し、六甲山、淡路島を望む。東経135度24分、北緯34度30分に位置し、西約5.4km、南北約5.5kmで、総面積は13.49平方キロメートルのコンパクトシティだ。
地形は市内全域がほぼ平坦で、市内全域が市街化区域である。気候は瀬戸内性気候に属する。 1942年(昭和17年)の市制施行当時の市域面積は、8.20平方キロメートル、人口は3万3307人だった。が、その後、市勢の発展と、臨海部の埋め立てにより、現在の市域面積となった。総面積のうち約4.56平方キロメートルが公有水面の埋立地だ。
大阪府・泉大津市のマンション
2018年、大阪府・泉大津市で販売された中古マンション相場価格は1260万円~2520万円だった。
2019年1月現在、泉大津市の人口は、同市の発表によると7万4824人で、総世帯数は3万4165世帯である。国勢調査によると、残像傾向にあった人口は、2005年(平成17年)以降、減少傾向に転じている。一方で世帯数は増加傾向にあり、1世帯当りの人員が減少している。
ただ、住宅数は一貫して増加していることから、都市化が進み、大阪のベッドタウンとして発展していることがわかる。
古くは和泉国の外港として栄えた名勝地
泉大津の歴史は古く、奈良時代には府中におかれた和泉国の外港として栄えた。古くから交通の要衝として天皇や国司、歌人、文人らの往来も多いエリアだった。古くから随筆や紀行にも、“小津の泊”“小津の松原”“大津の浦”など名勝の地としてしばしば登場しています。土佐日記のなかでも、土佐守の任期を終えて帰京する途中当地を通った紀貫之が、「行けどなお行きやられぬは妹がうむ小津の浦なる岸の松原」と記した。また更級日記の作者も、大津の浦で暴風雨にあい、舟を丘の上に引き上げて夜をあかした云々と記している。
明治以降の合併で誕生した大阪市のベッドタウン
時代は明治になり、1889年(明治22年)4月1日、全国的な市町村制の施行により、それまでの17カ村が大津村、穴師村、上條村の3カ村に統合され、和泉郡の所属となった。その後、大津村は1915年(大正4年)4月に町制を施行して大津町と改称し、1931年(昭和6年)8月に穴師・上條村を合併した後、冒頭で記したように1942年(昭和17年)4月、府下7番目の市として市制施行、泉大津市と改称して今日に至る。
江戸時代に和泉木綿の集積地として発展。真田紐をはじめとした繊維産業が充実する。その基盤を活用して明治以降、毛布の製造が地場産業となり、“毛布の街”として発展した。現在でも国内産毛布において9割超のシェアを占める。
昭和初期に整備された港湾施設などを活かし、堺泉北臨海工業地帯の一角を占め、物流拠点として発展する。
泉大津市内には南海本線の「北助松駅」「松ノ浜駅」「泉大津駅」の3つの駅があり、電車を利用して20分で大阪・難波、関西国際空港にアクセスできる快適で便利な市民の足となっている。
また、泉大津市内には高速道路のインターチェンジが2カ所あり、大阪市内へはクルマで約30分、和歌山へは約40分。神戸や京都へもおよそ1時間前後でアクセスできる。
泉大津市内のフェリーふ頭から九州・新門司までは、長距離フェリーが運航し、大阪と北九州を結ぶ玄関口となっている。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)