大阪府泉佐野市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
空の玄関口、関西国際空港開設で活性化し、国際都市を標榜する自治体
大阪府泉佐野市は、大阪市と和歌山市のほぼ中間に位置する自治体だ。背後に金剛生駒紀泉国定公園に指定された和泉山脈があり、美しい山河、緑あふれる豊かな自然環境に恵まれた街だ。商・工・農・漁業がバランスした自治体だったが、平成6年9月の関西国際空港開港に伴い人口が増加し、商業・ホテル・サービス業が盛んになった。
関西国際空港による経済効果を最大限に活かし、世界と日本を結ぶ玄関都市として、21世紀にふさわしい国際都市を目指した街づくりに取り組んでいる。
大阪府・泉佐野市のマンション
2018年、大阪府・泉佐野市で販売された新築マンションは112戸。同年、市内の中古マンション相場価格は1540万円~2380万円だった。
2019年1月現在、泉佐野市の人口は、同市の発表によると10万702人で、総世帯数は4万6791世帯である。市域総面積は約56.51平方キロメートル、瀬戸内式気候に属するため気候は温暖で、降水量は比較的少ない。
市の名前の由来は、中世以来の村名「佐野」に旧国名和泉を冠したもので、伝承では「狭い原野」ということから「狭野」というようになり、それが転じて「佐野」と呼ばれるようになったとされている。
古くから漁業、商業都市として発展した佐野村
市域では中世に佐野荘、鶴原荘、長滝荘といった荘園が成立し、1234年(天福2年/文暦元年)には九条家によって広大な日根荘が成立したとされる。佐野村では室町時代から熊野街道筋の字市場村に定期市が立ったという。
一方、沿岸部には対馬や五島列島方面まで漁に出るほどの漁船団が生まれ、佐野村は漁業でも発展する。江戸時代には豪農の中から廻船業者が現れ、なかでも食野家(めしのけ)、唐金家(からかねけ)は井原西鶴の「日本永代蔵」にも登場する。当時の面影を残す「いろは四十八蔵」の一部が今も残っている。
漁業や廻船業が発展し「佐野浦」と呼ばれる港町として発展した佐野村は、和泉国では堺に次ぐ商業都市となる。佐野村は、堺や岸和田のような計画都市ではなく、自然発生的に形成され、迷路のような街路が古い家並みとともに現在でも残っている。
第二次世界大戦期には、佐野陸軍飛行場および明野陸軍飛行学校佐野分教所が設置されていた。現在の末広公園や市民総合体育館付近が滑走路の西端にあたる。
1948年(昭和23年)4月、佐野町の市制施行により泉佐野市が誕生し、1954年(昭和29年)、南中通村、日根野村、長滝村、上之郷村、大土村の5カ村が合併し、現在の市域が形成された。
関空、りんくうタウンの開設で一気に活性化した市域
関西国際空港は、1994年に開校した日本で唯一の4000m級の複数滑走路を有する、完全24時間運用可能な国際拠点空港だ。泉佐野市・田尻町・泉南市にまたがる人口島につくられた海上空港だ。大阪国際空港(伊丹空港)・神戸空港とともに関西三空港のひとつ。西日本の国際拠点空港で、日本を代表するハブ空港である。ふたつの人口島に4000m級のオープンパラレル並行滑走路を2本持ち、西日本で最大規模の空港だ。第一ターミナルビルは、イタリアの著名建築家レンゾ・ピアノ氏の設計による建築だ。
同空港は日本で初めての会社管理空港であり、空港の建設と開港後の設置・管理は国・地方自治体・民間が共同出資した特殊会社の新関西国際空港会社が管理運営した。その後、日本で初めて空港運営権がコンセッション方式で売却され、2016年4月1日から両空港は純民間企業の「関西エアポート株式会社」によって運営されている。
空港島と直結する対岸には、埋め立てで造成された空港関連施設用地「りんくうタウン」があり、2000年代に入ってから進出企業に対する金銭関連の負担を軽減することを目的に、地代の値下げや定期借地権方式の導入などを実施することで企業の進出を促した。結果、企業のオフィスだけでなく、アウトレットモールなどの大規模商業施設や各種医療施設も進出した。
市内の鉄道網は南海本線とJR阪和線が走る。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)