大阪府東大阪市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
金属工業、機械、電気工業などが発達した大阪東部工業地域の中心地
大阪府東大阪市は、阪平野中部を占め大阪市の東に接する衛星都市。大阪東部工業地帯の一部をなし金物、機械、プラスチックなどの工場、流通センター、トラックターミナルが設けられ、卸企業が進出している。片町線、おおさか東線、近鉄各線、大阪市営地下鉄中央線、近畿自動車道、阪神高速道路などが通じる。同市の鉄道網は非常に充実しており、市内に23の鉄道駅があり。難波駅と奈良駅を結ぶ近鉄奈良線の駅「布施駅」は乗降人数が最も多い中心駅だ。布施駅周辺は東大阪市最大の商業区域で、駅前の近鉄百貨店を中心としてたくさんの飲食店や、これぞ大阪の下町といった商店街が続く。
同市東部は金剛生駒紀泉国定公園に属する。全国高校ラグビー選手権が行なわれる高校ラグビーの聖地、花園ラグビー場がある。
東西11.2km、南北7.9km、総面積61.78平方キロメートルの中核市だ。
大阪府・東大阪市のマンション
2018年、大阪府・東大阪市で販売された新築マンションは339戸で、相場価格は2556万円~3591万円だった。同年、市内の中古マンション相場価格は1540万円~3780万円である。
2019年1月現在、東大阪市の人口は、同市の発表によると49万217人で、そのうち外国人は1万7971人だ。総世帯数は23万8333世帯である。
同市域に人々が居住しはじめたのは、いまから数万年前の旧石器時代。山麓から当時の石器が見つかっていることで分かる。縄文・弥生・古墳時代には、市内は海から湖と湿地帯へと移りかわり、山麓を中心として100以上の集落や古墳がつくられた。
国郡制が整った大化の改新以降、河内郡衙(郡役所)が河内町、若江郡衙が若江周辺におかれていたと考えられる。奈良時代には生駒山のふもとの入江は「草香江」と呼ばれ、万葉集にも歌われている。
江戸時代の大和川付け替え大事業が実を結び、発展に寄与する
鎌倉時代になると、興法寺・慈光寺・神感寺などの山寺が真言宗の道場として栄え、南北朝時代に南朝方の拠点となる。1348年(正平3年)、楠木正行は往生院に陣をおいて足利方と戦い、飯盛山で戦死した。
室町時代には、河内国の争奪をめぐる争いがくり返され、河内国守護畠山氏の築いた若江城はその拠点となり、後には三好義継の居城となった。
徳川家康が豊臣家を攻めた大坂冬・夏の陣では、若江が激戦の地となる。江戸時代、河内平野を南北に流れ、毎年のように洪水を繰り返していた大和川は、今米村・中甚兵衛らの幕府への請願が実を結び、1704年(宝永元年)、堺までの付け替えが行なわれた。
それが奏功して、広い旧川床や池沼地は埋め立てられて新田となる。大阪の豪商、鴻池善右衛門が開発した鴻池新田には、いまも豪壮な会所が残る。
同時に、旧川床には木綿が栽培され、河内木綿の名が全国に広がりました。山麓地帯では、水車を利用したいくつかの地域産業が発達した。
明治時代になると河内国は河内県・堺県などに変わり、1881年(明治14年)から大阪府となり、1889年(明治22年)の全国市町村制施行により、この地の80カ村に近い村々も19村に統合。河内・若江・渋川の3国に分かれていた郡制も、1896年(明治29年)に中河内郡となった。
鉄道網の整備は農村田園地帯を商工業都市へと大転換させた
それまで農村の景観を一気に商工業地域に変えたのは、交通機関の発達だ。1889年(明治22年)に大阪鉄道(現在のJR・関西線)、1895年(明治28年)には、浪速鉄道(現在のJR・学研都市線)が開通した。1914年(大正3年)には私鉄最長の生駒トンネルが完成し、大阪電気軌道の大阪・上本町と奈良間(現在の近鉄奈良線)が開通、次いで1924年(大正13年)に布施~八尾間(現在の近鉄大阪線)が開通した。
1925年(大正14年)に町制を敷いた布施町と小阪町、1929年(昭和4年)に町となった楠根町隣接の意岐部、長瀬、弥刀の3カ村を合わせて1937年(昭和)12年4月に布施市が誕生した。これが現在の西地区だ。
生駒山ろくや平野の中央部にある現在の東地区は1955年(昭和30年)1月に枚岡・縄手・石切の3町と孔舎衙村が合併して枚岡市が、同様に中地区は盾津・玉川の2町と英田・三野郷・若江の3村が合併して河内市が誕生した。
その後布施、河内、枚岡の旧3市の間で、広域行政の必要性が強まり、1967年(昭和42年)2月、3市が合併して、東大阪市が生まれた。
大阪市に接する布施は、商工業地域で、鋳物、鉄線などの金属工業をはじめ機械、電気器具、雑工業などが発達、大阪東部工業地域の中心地をなす。1965年前後から商業団地の進出がめざましく、近畿自動車道と阪神高速道路、大阪中央環状線の結節点にある東大阪流通センターには、トラックターミナルを中心に機械、紙、文具、ビニールなどの卸売業団地が立地。大阪中央環状線沿いの金物町には金物団地、大阪外環状線沿いには被服団地などがあり、商業流通の中心地ともなっている。
1958年(昭和33年)、日本初の回転寿司店「元禄寿司」が開店した。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)