神奈川県川崎市麻生区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
川崎中心部よりも東京・新宿へのアクセスが良好な川崎最北部の行政区
川崎市麻生(あさお)区は、神奈川県の北東部、川崎市の北西部に位置し、東京都稲城市・多摩市・町田市、横浜市青葉区および市内多摩区・宮前区に接する。麻生区は、1982年(昭和57年)7月1日、川崎市の行政区再編にともない、多摩区から分区し誕生した。
川崎市・麻生区のマンション
2018年、神奈川県・川崎市麻生区で販売された新築マンションは118戸。新築マンション相場価格は4316万円~5076万円。中古マンション相場価格は2100万円~6090万円だ。
2019年1月現在、川崎市麻生区の人口は、17万6576人。総世帯数は7万9532世帯だ。区の総面積は23.11平方キロメートルである。区内の最高海抜は町田市との市境海抜148mで、川崎市でもっとも高い地点となる。
麻生区は多摩丘陵の一部にあり、谷戸川が丘陵の奥深くまで幾筋も入り込んだ高台と低地、丘陵と谷戸といったように地形的変化が比較的大きい。小田急線を中心としたクラスター状の特徴的な地形だ。また、区全体が尾根線によって囲まれており、地形的にも景観的にも川崎市の他の地域とまったく異なった、独立したエリアとなっている。
同区中核駅となる小田急線・新百合ケ丘から東京駅まで約25km、川崎駅まで約20kmの距離にある住宅都市だ。川崎都心よりも新宿へのアクセスに優れている。
新百合ヶ丘を核とする川崎北部新都心として開発
南北に長い川崎市において、行政・商業の中心となっている川崎区(市の南東部)とは最も離れている。そのため市役所などへの移動は非常に時間がかかり、川崎市中心部よりも東京新宿への交通の便が良い。そのため行政への届出など、大半のことは区内でコト足りるよう、新百合ヶ丘駅周辺を川崎北部・副都心として区役所、税務署などの公共施設、百貨店、シネコン、図書館、消防署、川崎市アートセンターなどの施設が充実する都市として開発された。
1998年(平成10年)、建設省(現在の国土交通省)の「都市景観100選」を受賞した街並みだ。
麻生区は1982年(昭和57年)7月1日、川崎市の行政区再編に伴い、同市多摩区から分区し誕生した。市の北西部、多摩丘陵の一角に位置している。麻生の名の起こりは、8世紀頃から朝廷への貢ぎ物だった麻布の原料である麻を広く産した地であったことによると伝えられている。
江戸時代から戦前にかけて独特の甘味で人気を集めた「禅寺丸柿」は、鎌倉時代に王禅寺で発見されたと言われており、同区内「柿生」(かきお)の地名の由来となっている。また江戸時代の天保期頃からは「黒川炭」の生産や養蚕業も盛んに行なわれた。
小田急多摩線の開通、新百合ヶ丘駅開設で住宅都市へとシフト
1927年(昭和2年)に小田急線の柿生駅が開設され、その後、1960年代以降に、恵まれた自然環境や都心への利便性の良さから開発が進み、1974年(昭和49年)に新百合ヶ丘駅が開設され、同時に多摩ニュータウンに乗り入れる小田急多摩線も開通した。
農地や山林などが区の面積の約25%を占めるなど自然環境にも恵まれ、駅周辺では戸建住宅を中心とした住宅市街地が形成されている。区全体の土地利用をみると住宅地が最も高い反面、工業系土地利用の割合が川崎市平均と比べると著しく低い。
同区には芸術、文化関連の施設が多いことから、「しんゆり・芸術のまち」づくりを推進しており、kirara@アートしんゆりをはじめ、川崎・しんゆり芸術祭(アルテリッカしんゆり)、あさお芸術のまちコンサート、KAWASAKIしんゆり映画祭などが展開される。
また、南黒川地区などにある「マイコンシティ」にはエレクトロニクスや先端技術産業に関連した施設が集積し、研究開発の拠点となっている。その他、片平にある川崎フロンターレの練習場を中心として、地域に密着したスポーツのまちづくりも進められている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)