神奈川県中郡大磯町の特徴
― ニッポンの自治体 ―
明治20年の大磯駅開業で、政財界の重鎮たちの別荘地となった街
神奈川県大磯町は、神奈川県の中央南部に位置する。南は相模湾、北は高麗山や鷹取山をはじめとした大磯地塊の丘陵地帯だ。北と東は平塚市、西は二宮町と境を接する。東西約7.6km、南北約4.1kmのやや東西に長い形をしており、面積は17.23平方キロメートル。市街地は、国道1号沿いの平坦部に形成されており、街の65%を丘陵部が占め、気候は海岸沿いに流れる暖流の影響で温暖だ。大磯へのアクセスは、JR湘南新宿ラインで新宿まで約70分、JR東海道線で横浜まで40分だ。クルマなら小田原厚木道路・大磯ICを使えば至近。
神奈川県・中郡大磯町のマンション
2018年、神奈川県・大磯町で販売された中古マンション相場価格は、2240万円~3990万円だった。
神奈川県大磯町の2019年1月現在の人口は、3万2936人。総世帯数は1万4295世帯である。
大磯町は、相模湾や高麗山、鷹取山などの豊かな自然が暮らしの場に近接しており、また、長い時間をかけて郷土が培ってきた伝統や文化が大切に受け継がれ、自然や歴史、文化の魅力とともに発展してきた。
1889年(明治22年4月)の全国町村制の施行で、大磯駅、高麗村、東小磯村、西小磯村を合併して大磯町を施行。
1954年(昭和29年)12月に町村合併促進法により国府町(旧国府町は平安朝のころ相模国府が置かれた)と合併し、現在の大磯町となった。
明治以降の歴代総理が住んだ保養地で避暑地
1885年(明治18)年に、初代・陸軍軍医総監を務めた松本順が、西洋医学の先端医療のひとつとして、「海水浴」を推奨し、照ヶ崎海岸に海水浴場が開設された。
1887年(明治20)年に、大磯駅が開業した。が、当初は平塚から国府津までの間に駅は必要ない、とする計画だった。しかし、松本順が当時の初代・内閣総理大臣・伊藤博文に相談し、大磯駅が誕生した。大磯駅開業によって海水浴客は増え続け、政財界の重鎮たちの別荘が数多く建築される。1897年(明治30年)には伊藤博文自身が温暖な大磯の気候が気に入り居を移し、保養地としての大磯の名が全国に広まる。
その後、東京方面から多くの名士が訪れ、旅館も多くでき、また別荘や邸宅を構える人も多く、避暑地として大いに賑わった。
湘南発祥の地「大磯」は、明治期の避暑地として栄えた別荘文化の佇まいが残る、まさに「湘南の奥座敷」である。
先に述べた初代・内閣総理大臣である伊藤博文をはじめ、歴代総理大臣8人、伊藤博文をはじめ、大隈重信、加藤高明、西園寺公望、寺内正毅、原敬、山縣有朋、吉田茂が邸宅を構えるなど、多くの政財界の重鎮がこぞって居を構えた。
戦後の日本復興を主導した吉田茂が住んだ街
吉田茂は、養父・吉田健三が購入した邸宅で幼少期より過ごし、首相在任中には週末を、退任後にはここで隠棲した。退任後も政治への影響力は絶大で、多くの政治家が吉田のもとに通い、「大磯詣」と称されたほどだった。
その吉田茂邸は、2009年3月、原因不明の火災で消失した。現在、大磯町が主導し、大磯町区長連絡協議会、大磯町商工会および大磯町観光協会の役員や、 町内学識経験者など町民15名で構成する旧吉田茂邸再建検討委員会において、再建策が検討されている。
有名なレジャー施設「大磯ロングビーチ」は、西武鉄道・国土計画の総帥だった堤義明氏が、早稲田大学在学中に書いた論文「海岸沿いの巨大プール」を基に開発。広大な駐車場とともに、1957年(昭和32年)に開業した。併設されている「大磯プリンスホテル」は、先の東京オリンピックのヨット競技に参加する各国選手の選手村として建設され、1964年7月にオープンしたリゾートホテルだ。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)