神奈川県藤沢市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
湘南の中心都市で、住宅都市・観光都市・学園都市として知られる
神奈川県藤沢市の総面積は面積約69.57平方キロメートル。東京からほぼ50km圏、神奈川県の中央南部に位置し、周囲は横浜市、鎌倉市、茅ヶ崎市、大和市、綾瀬市、海老名市、寒川町の6市1町に囲まれ、南は相模湾に面し、おおむね平坦な地形となっている。
神奈川県・藤沢市のマンション
2018年、神奈川県・藤沢市で販売された新築マンションは362戸。新築マンションの価格相場は、4040万円~6024万円。中古マンション相場価格は2100万円~5740万円だった。
2019年1月現在、藤沢市の人口は、43万3526人で、総世帯数は19万7807世帯。人口は県内の政令指定都市である横浜、川崎、相模原の各市に次ぎ神奈川県内4位である。全国の市では42位。湘南と称されるエリアで最大の人口を有する。
東京・横浜への通勤通が記できる住宅都市であり湘南の観光都市
JR東海道線で東京駅まで約50分、横浜駅まで約20分の位置にあり、私鉄も小田急電鉄、相模鉄道、江ノ島電鉄があり、加えて横浜市営地下鉄と湘南モノレールに接続と充実しているため、横浜・東京へ通勤できる住宅都市として発展した。1940年(昭和15年)10月1日に市制施行となった。
なお、江ノ電(江ノ島電鉄)は、“鎌倉の路面電車”としてのイメージが強いが、1902年(明治35年)に藤沢~片瀬(現・江ノ島:藤沢市)間で開業し、現在でも藤沢駅が起点であり、本社も藤沢市片瀬海岸にある。鎌倉までの全線が開通したのは1910年(明治43年)のことである。
全国的に有名な江の島(江ノ島)、片瀬・鵠沼・辻堂海岸を有し観光都市としての性格も併せ持つ、いわゆる「湘南」の中心都市だ。第三号保健所政令市に指定されてもいる。
藤沢市は江戸時代、東海道五十三次、6番目の宿、藤沢宿として発達した。当時の書物「東海道宿村大概帳」には、藤沢宿の名物を「大山詣で、江ノ島弁財天詣で」と記されており、江戸時代の藤沢宿には多くの街道が集まる場所だった。メインの東海道を西へ、四ツ谷から北東に分かれる大山道(大山阿夫利神社・大山不動尊へ)、南へ下る江の島道(江島神社へ)、遊行寺前で東へ向かう鎌倉道、北へ向かう八王子道(滝山街道)、北西に向かう厚木道などがあり、流通の中心地となったとされる。
市南部の鵠沼海岸や片瀬東浜海岸は古くから海水浴場が開設され、明治初期から外国人の海水浴客が訪れていた。諸説あるが、日本におけるサーフィンおよびビーチバレー発祥の地だとされている。
1960年代の高度成長期から都市化が進み、工業都市、学園都市の顔も
1908年(明治41年)に町制施行、1940年(昭和15年)10に市制を施行、そして1955年(昭和30年)までに近隣の町村を合併して、現在の市域になった。1960年代に入ると、経済の高度成長を背景に市北部を中心に数多くの工場が建設され、工業都市としての性格を強めていく。一方、1970年代には、各地 に大型商業施設が進出し、湘南における商業の中心地として発展した。同時に、本市の中部や西部、そして北部地域開発が進み、次々と新しい市街地が形成され、人口も増加した。
気候も温暖であることから、南部の鵠沼・片瀬地区は明治中期より日本初の計画別荘地として開発され、皇族や政治家、文化人や学者が別荘を構えた。
戦後は東京のベッドタウンとして人口が急増。JR、小田急、江ノ電が乗り入れる藤沢駅を中心に商業施設が集積した。慶應義塾大学、湘南工科大学、多摩大学、日本大学を有する学園都市でもある。
しかしながら、公営の文化施設は貧弱で私立の新江ノ島水族館がある程度。市営の施設は文書館と湘南台文化センターだけである。
ただし、子育て世帯に対する福祉が充実している。小学6年生まで、保護者の所得額に限らず通院や入院の医療費が控除される。また、子育て事業も充実しており、積極的に子育て世帯を応援するサポート体制が整っていることもポイントが高い。全国的に問題となっている待機児童も激減に成功しており、今後は待機児童ゼロを目指して取り組みが進められている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)