大阪府大阪市福島区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
大阪の小さな行政区は、勢いある大阪都心としての機能を持つ街
大阪市福島区は、北に新淀川、南は堂島川・安治川に面し、大阪市の西北部に位置している。区内に9カ所の鉄道駅があり、大阪市内中心部や神戸方面への交通の要衝となっている。
福島区の総面積は4.67平方キロメートルで、大阪24区のなかで浪速区(4.39平方キロメートル)、東成区(4.54平方キロメートル)に次いで小さな行政区だ。
大阪市・福島区のマンション
2018年に大阪府・大阪市福島区で販売された新築マンションは309戸で、価格相場は不明。中古マンション相場価格は2660万円~5740万円だった。
2019年1月現在、福島区の人口は、7万4751人で、総世帯数は4万843世帯である。
再開発地域として大阪市内でも開発力に勢いがあるエリア
区内にはJR大阪環状線の「福島駅」「野田駅」があり、これらの駅からはユニバーサルスタジオジャパン直通の電車も走る。そのほか冒頭で述べたように、阪神本線の「福島駅」「野田駅」「淀川駅」、JR東西線の「新福島駅」「海老江駅」、大阪市営地下鉄千日前線の「野田阪神駅」「玉川駅」と区内に9つの鉄道駅がある。
現在、福島駅から難波まで30分弱、JR環状線のとなりの駅「梅田駅」であれば自転車や徒歩でもアクセスできる。国道2号線沿いには高層マンションが建ち、再開発地域としても勢いがある街だ。
福沢諭吉・生誕の地であり、松下電器産業(現:パナソニック)の創業の地としても有名な行政区だ。また、丸大食品、自動車用品チェーンのオートバックスセブンも同区で創業した。
鎌倉時代から発展、江戸時代に新地造成、近年宅地開発が進む
かつて、大阪湾一帯は、淀川の土砂が堆積してできた難波八十島があり、福島もそのひとつと考えられている。鎌倉時代には荘園がひらかれ、江戸時代になると安治川の開削や堂島川の浚渫(しゅんせつ)埋め立てがすすめられ、新地が造成されたという。
「福島」の地名の由来は、菅原道真公が大宰府に流される際に、当地に立ち寄り、名付けたと伝えられる。また、1185年(元暦2年)2月16日、源義経が平家追討ちに向かう際に、この地を訪れ、「渡辺・福島をいでて……」と平家物語に記載されている。
現在の福島区域一帯は、かつては湿地帯で細い川が縦横に流れ、川沿いにはフジ(後に野田藤と命名される)の花が咲き乱れるフジの名所として有名であり、足利義詮将軍、豊臣秀吉らがフジ見物におとずれたことが記録されている。
現在の福島区域は、1889年(明治22年)大阪市制の施行時と1897年(明治30年)と1925年(大正14年)の大阪市域拡張により、大阪市に編入された。淀川の氾濫大洪水を機に明治後期にできた新淀川は、当時の西淀川区の区域を南北に分け、1943年(昭和18年)4月1日、旧西淀川区の海老江・鷺洲と旧此花区の福島・野田地区に北区の一部が加わり福島区が誕生した。
1990年代以降、超高層タワーマンション建設が進む
戦後は、西日本のビジネスの中心地である梅田に近いことから福島駅周辺を中心にオフィスビルが建ち、工場移転後の跡地は住宅地や商業地になった。
福島区は、農業地、工業地という歴史を経て、近年は宅地開発が極めて活発に進むエリアだ。福島駅や阪神野田駅近辺には、オフィスビルやホテル、商業施設などが集積した大阪都心としての機能を持った地域。
1990年以降、区内各所に大規模な団地や超高層タワーマンションが建設され、阪大病院の跡地は再開発され「ほたるまち」が建設された。ここには朝日放送本社が入居した。
その一方で、昔ながらの商店街が残る野田地区周辺では、下町らしさを感じられる街並みが残り、昔のままの人情が感じられる魅力的な街だ。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)