大阪府守口市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
パナソニックの実質的本社が立地、門真市とともに企業城下町として発展
守口市は、大阪府北河内地域にある自治体だ。大阪平野のほぼ中央部、淀川の左岸に位置する。南と西は大阪市と接し、東は門真市、北は寝屋川市に接する。大阪市のベッドタウンとして機能する衛星都市で、大阪都市圏における都市雇用圏の中心でもある。花博記念公園鶴見緑地の西半分は、大阪市域ではなく守口市である。
大阪府・守口市のマンション
2018年に大阪府・守口市で販売された新築マンションは74戸で、相場価格は3046万円~3643万円だった。中古マンション相場価格は1750万円~3430万円である。
大阪府守口市の人口は、2019年1月現在、14万3458人で、総世帯数は7万1613世帯だった。
かつて豊臣秀吉の直轄地だった市域は、明治後期に一気に近代化する
奈良時代、同市域に名僧行基によって高瀬寺が建立され、また奈良街道の整備、高瀬堤樋の改築などの事業が進められ発展する。
その後の平安時代から鎌倉の世に、同市は朝廷や寺院・武家などの荘園となる。戦国時代を経て、織田信長、池田信輝などの統治を受け、豊臣秀吉による統治を経て大阪城落城までは、豊臣家の直轄領だった。江戸時代元禄年間に「守口」と称されるようになった。
守口の近代化は、1910年(明治43年)の京阪電車の開通でスタートした。1931年(昭和6年)に国道1号線が完成し、大阪市電も運転を開始して守口地域の発展が進む。戦後の1946年(昭和21年)、守口町と三郷町が合併し、市制を施行、全国206番目、大阪府で11番目の市として「守口市」が誕生した。
1957年(昭和32年)に庭窪町と合併し、面積12.71平方キロメートルの現在の市域となった。
企業城下町として進んだ鉄道網の再整備で快適な都市機能に発展
以降、市勢は急速に進み1971年(昭和46年)に人口が18万8000人のピークとなった。1977年(昭和52年)に大阪市営地下鉄谷町線が同市まで開通。京阪電鉄高架事業が1982年(昭和57年)に完成。さらに、京阪守口市駅前開発事業も1985年(昭和60年)10月に竣工した。1997年(平成9年)、大阪モノレールが大日および隣接する門真市まで延伸され、大阪空港へ直接乗り入れが可能となり、市内公共交通網は現在の形に整備された。
ちなみに市の情報では、大阪駅からJR環状線と京阪を乗り継いで15分、大阪空港から大阪モノレールで35分、新大阪駅から地下鉄御堂筋線~京阪電車で30分のアクセスと発表されている。
2005年に隣接する門真市との合併協議がまとまり、「守口門真市」となることで決定していたが、2004年9月に実施した住民投票で、合併反対派が87%を占めて、事実上合併は解消となった。この住民投票の投票率は約51%だった。住民投票は、投票率50%以上で開票し、有効となる。門真市は投票率50%に満たず、開票されなかった。
大日駅前再開発として、2002年(平成14年)7月に守口大日地域が特定都市再生緊急整備地域の指定を受け、2006年(平成18年)9月に「イオンモール大日」が、2001年9月閉鎖した三洋電機大日工場跡地に開業した。隣接する超高層マンション「サンマークスだいにち」などによる再開発が進行している。
なお、門真市のコラムで触れたが、パナソニック(旧・松下電器産業)の登記上の本社は門真市にあるが、本社事務所は国道1号沿いの守口市八雲中町に立地する。パナソニック・エナジー社(旧・松下電池工業)の本社は守口市にある。また、パナソニックの実質本社があるため、門真市とともに企業城下町として発展。下請け部品メーカーも多く、パナソニック・三洋電機関連の従業者が多く居住する。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)