大阪府柏原市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
時代を超えて市域中央を流れる大和川が、市域の発展を支えた環境都市
大阪府柏原市は、大阪平野の南東部、大阪府と奈良県との府県境に位置する。奈良盆地のいくつかの河川が集まった大和川が同市の中央を流れ、金剛・生駒山地を横断して大阪平野に流れ出る付近に街並みを形成する。
市域の3分の2が山間部で、中央部を大和川が流れる。大阪の都心からわずか20kmほどの距離にありながら、緑の山々と美しい渓谷、豊かな川の流れなど、多彩な自然環境を備えた、暮らしやすい環境都市だ。
大阪府・柏原市のマンション
2018年に大阪府・柏原市(かしわらし)で販売された新築マンションの相場価格は3221万円~3277万円。中古マンション相場価格は1890万円~3010万円である。
大阪府柏原市の人口は、2019年1月現在、6万9529人で、総世帯数は3万1407世帯だった。
大和川の付け替え大工事で市域は大きく変貌を遂げる
歴史的には、同市域は山麓台地に残る縄文、弥生時代の遺跡にはじまり、松岳山古墳をはじめ玉手山古墳群など、全国的にも有名な古墳がある。さらに奈良時代の舟橋廃寺や田辺廃寺、国分寺、国分尼寺など十指にあまる古代寺院跡の存在などから往時の繁栄が読み取れる。
戦国時代は戦火に覆われ、織田、次いで豊臣の支配下となる。その後、江戸時代は幕府の天領地として幕府の直轄支配下におかれた。
1704年(宝永元年)に開始された大和川の付け替え大土木工事で市域は大きく変わる。川の付け替えによって、旧大和川床に新田が開発され、木綿と米との栽培に利用され、物産は新大和川の剣先船などによって大阪へと運ばれ、柏原が発展することとなった。
同市を代表する産業としてはブドウ栽培が挙げられる。秋にはブドウ狩りを楽しむ観光客でにぎわう。近年は、「柏原ワイン」の生産にも力を入れ、全国的に知名度も高まってきた。ブドウの栽培は1878年(明治11年)ごろから始まり、最盛期には約200軒のブドウ農家が軒を並べていた。
2009年(平成21年)に、大平寺地区のブドウ畑の農風景と歴史的街並みが大阪府「石畳と淡い街灯まちづくり支援事業」のモデル地区に選定されるなど、地域資源を活かしたまちづくりに積極的に取り組む。
1889年、鉄道の開通で市域の近代化が進展する
1889年(明治22年)に鉄道が開通し、柏原は近代化が進む。さらに昭和にはいると産業道路の開通による自動車運輸の発展によって、近郷の貨物の集散に柏原は重要な拠点になった。
1939年(昭和14年)に柏原町、堅上、堅下村が合併、1956年(昭和31年)に柏原町と国分町の合併が実現し、1958年(昭和33年)に市制が施行された。現在、市域の面積は25.33平方キロメートルである。
柏原地区では、JR関西本線(大和路線)と近鉄大阪線が地区の中心部を南北に並行して走っており、柏原駅で近鉄道明寺線とJR線が接続する。隣接する藤井寺市内で近鉄南大阪線に接続しており、それぞれ地域住民の重要な公共交通機関として利用されている。
柏原駅周辺、国道25号沿道を中心に商業および業務地となり、その周囲に住・工・商が混在した地域が広がる。また、隣接して生駒山麓に広がる堅下地区では新興住宅地が形成されている。
一方、河内国分駅周辺は、柏原市の大和川を境にした市域南部に位置し、近鉄河内国分駅を中心として商業・業務機能が集積した市街地となっている。北部の柏原地区とともに柏原市のふたつの大きな都市型業務地として機能している。
近鉄河内国分駅周辺の商業・業務地を取り囲むように住宅地が広がっており、駅東側にある古くからの市街地と丘陵地上に開発された新興住宅地で構成された地域だ。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)