大阪府大阪市住吉区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
歴史と伝統が息づく街「すみよし」は、大阪市内屈指の行政区に成長
大阪市住吉区は他の行政区と同様に歴史と伝統が息づくエリアだ。旧くから「すみのえ」あるいは「すみよし」と呼ばれ、平安時代には海の守護神であり、日本の神社建築の歴史上特異な様式である“住吉造り”の「住吉大社」とともに栄えた。その後も、さまざまな歴史的変遷を経て今日に至る。
大阪府・大阪市住吉区のマンション
2018年に大阪府・大阪市住吉区で販売された新築マンションは67戸で、相場価格は3163万円~3594万円だった。中古マンション相場価格は2030万円~5950万円だ。
2019年1月現在、大阪市住吉区の人口は15万3191人で、総世帯数は7万9907世帯だ。同区の総面積は9.40平方キロメートルである。
住吉区は、大阪市の最南部に位置し、大和川を隔てて堺市に接する。地形は、住吉大社から大阪城に至る上町台地と堺市上野芝、三国ケ丘、我孫子、田辺を経て生野、勝山方面にのびる我孫子台地のふたつの丘陵からなる高台地区だ。この丘陵の中間の千躰、沢之町あたりは、かつて海辺であったと言われている。
同区は、大阪と泉州・紀州を結ぶ紀州・熊野街道などの交通要衝として南北交通が古くから開け、また、大陸交易の本拠地となっていた。
大阪市第2次市域拡張で大阪市に編入され住吉区が誕生
1925年(大正14年)4月1日、大阪市第2次市域拡張において東成郡の12町村が大阪市に編入され住吉区が誕生した。当時は阿倍野区・東住吉区・住之江区を含んだ巨大な区だった。その後、人口が急速に増加し、1943年(昭和18年)4月1日、大阪市区制見直しにより、阿倍野区・東住吉区にあたる区域を分離分区した。
また、戦後復興が進んだ1955年ごろから公営住宅の建設が進み、急激な人口増と、1960年代の南港埋め立て事業の進捗によって市内で屈指の行政区に発展。1974年(昭和49年)7月22日に、「住吉区」と「住之江区」に分区し現在の行政区となった。
都心への交通至便な住宅地区として都市整備が進む
区民の憩いの場所として、桜で名高い万代池公園に加え、長居公園(東住吉区)や住吉公園(住之江区)にも隣接している。
さらに区南部には、昭和3年に全国で最初の市立商科大学として開設された大阪市立大学があり、諸外国との学術交流の拠点として、大学間交流や学生交流を推進する。大学の東側には、平成6年開発途上国の技術者研修事業などを行なう、海外技術者研修協会の関西研修センターが開設された。
現在、住吉区は都心への交通至便な住宅地区として、公営住宅の高層化や新しいマンションが建設され、都市整備が進められている。2006年(平成18年)に念願だったJR阪和線の高架化が完了。東西の交通渋滞が緩和され、周辺地域の活性化を含めた街づくりに大きく貢献した。
余談だが、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏は、住吉区内にあった日本酒醸造会社・摂津酒造に勤務し、帝塚山に在住していた。摂津酒造の社長の勧めでスコットランド留学を果たし、ウイスキー製造を学んで妻のリタとともに帰国。壽屋(現サントリー)で、日本初のウイスキー蒸溜所「山崎蒸溜所」を建設。後に北海道・余市でニッカウヰスキーを創業した。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)