大阪府大阪市西成区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
現在でも路面電車が走る、人情豊かな下町の風情が残る庶民的な街
大阪市西成区は、上町台地の西側から木津川に至る間に位置しており、北に浪速区、東に阿倍野区、南に住之江区、木津川を挟んで西に大正区に接する面積7.35平方キロメートルの行政区である。
大阪府・大阪市西成区のマンション
2018年に大阪府・大阪市西成区で販売された新築マンションは15戸。中古マンション相場価格は2030万円~2940万円だ。
2019年1月現在、西成区の人口は10万6931人で、総世帯数は7万2238世帯だった。
今もなお人情豊かな下町の風情が残る庶民の街
現在、西成区は国道26号・43号などの幹線道路、大阪市営地下鉄・JR・私鉄が通る交通至便の街区であり、人口密度は極めて高い。商工業の街、庶民的の街として発展してきた。今なお人情豊かな下町の風情が残る、住宅と工場が混在した街だ。
一方、天神ノ森地区は阿倍野区から続く閑静な住宅地だ。
釜ケ崎「あいりん地区」
同区北東部の萩之茶屋付近に、「あいりん地区」と呼ばれる地区があり、かつて東京台東区・山谷と並ぶ日雇い労働者の街として知られた。が、バブル崩壊後に公共工事などの減少で求人は極端に減ったという。
あいりん地区は旧来からの地名である「釜ケ崎」とも呼ばれ、かつて労働者のための簡易宿泊所だった施設は現在、海外から来訪するバックパッカーの宿泊所として人気が高い。
あいりん地区という名称は、1966年に国や自治体などの行政機関と報道機関が使用の取り決めを行ない、使用するようになった名称である。
同区エリアは16世紀ごろから、区域東部を南北に走る旧紀州街道(住吉街道)沿いの発展とともに開けたとされる。紀州街道は、戦国時代から文献に残る街道で、大阪から泉州、紀州両国の往復路として重要な街道だ。また、豊臣秀吉が住吉神社や堺政所に往来した道で、豊臣秀吉がその道中に、同区辺りで茶を楽しんだことから天下茶屋と呼ばれ、大阪市顕彰史跡として「天下茶屋跡」が残っている。江戸時代には、大阪へ農作物を大量に供給する農村として発達し、畑場八カ村と呼ばれた地域であった。
大阪市で唯一の路面電車が走る下町の情緒が感じられる街並み
電気軌道の路面電車会社が、1911年(明治44年)に恵美須町~浜寺駅前間を開業した。しかし、同方向に鉄道事業を展開する南海鉄道と競争の結果、1915年(大正4 年)に合併し「南海阪堺線」と呼ばれるようになった。1980年(昭和55年)12月、改めて南海電鉄から独立し、新たな事業展開をおこすため新会社を設立し現在に至る。現在、大阪市内唯一の路面電車であり、その車体には趣をこらした図柄が描かれ、西成区の風情を漂わせ、ほのぼのとした下町の情緒が感じられる電車だ。
西成区は1925年(大正14年)の大阪市第2次市域拡張の際、旧西成郡今宮町・玉出町・津守村・粉浜村が大阪市に編入されて、区制を施行した。区名は旧郡名に由来するという。1943年(昭和18年)、大阪市の行政区変更にともなって、住吉区の山王町、松田町、聖天下、天下茶屋、天神ノ森、北加賀屋町の一部、桜井町の一部を編入し、住吉区との境界を調整して現在の区域となった。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)