大阪府大阪市生野区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
聖徳太子伝説が由来となる区の名称、平安の歴史を今に伝える
大阪市生野区は、大阪市の東南部に位置する。東は東大阪市に、北は近畿日本鉄道線を境界に東成区に、西はJR環状線を境に天王寺区に、南は国道25号線および平野川に隔てられ阿倍野区、東住吉区、平野区に接する。同区の面積は8.37平方キロメートルである。
大阪府・大阪市生野区のマンション
2018年に大阪府・大阪市生野区で新たに販売されたマンションは17戸で、相場価格は不明。中古マンション相場価格は2170万円~2940万円だった。
2019年1月現在、生野区の人口は12万7415人、総世帯数は7万779世帯である。
日本でもっとも外国人の人口比率が高い街
2016年10月の外国人登録者統計によると外国人居住者は2万7801人で、同区人口の20%以上に達する。大阪市内24区中、もっとも外国人居住者が多い。外国人国籍で多いのは韓国・朝鮮人で2万3000人あまり。次いで中国人、ベトナム人となる。
全国的な外国人登録者をみると、人数は東京都新宿区の4万1094人(2017年3月)が最多だ。が、総人口に対する割合は12%あまりで、生野区の外国人比率は群を抜く高さである。そのためか、鶴橋地区や今里新地では“コリアンタウン”があり、コリア系商業ビルも存在する。
奈良・平安時代の歴史と伝統を今に伝える街
同区は、奈良・平安時代からの歴史と伝統が息づくエリアで、区の名称である「生野」は聖徳太子ゆかりの「生野長者」にちなんで付けられたとされる。生野長者に関する物語は、現在の舎利寺1丁目2番街区にある「舎利尊勝寺」の、「舎利寺の鐘」に漢字で刻まれている。
また、生野区役所の東には、大小橋命(おおおばせのみこと)の廟所と伝承されている御勝山古墳がある。1614年(慶長19年)の「大阪冬の陣」では、10月に江戸城を出発した徳川秀忠が、ここに布陣し勝利した。このため、当時の地名「岡山」を「御勝山」と称するようになったといわれる。現在もだんじり・地蔵盆など地域伝統行事が守られる下町情緒が色濃く残る街だ。
「田島(たしま/たじま)のめがねレンズ」が有名な地域産業
大阪生野区は、1943年(昭和18年)4月1日、全国的な行政区画の変更により大阪市が22区となった。この時、旧東成郡鶴橋村、生野村、小路村の区域が東成区から分区となり創設。その後、1955年(昭和30年)4月3日、中河内郡巽町を編入し、現在の生野区域となった。
区内には個人商店、中小企業が多く、ゴムと硝子工業が有名な産業だ。なかでも「田島(たしま/たじま)のめがねレンズ」は有名で、昭和40年代までは全国シェアの90%の生産量を誇っていた。田島神社境内には「レンズ発祥の地」の碑がある。商店街も多く賑わいを見せている。また、ロート製薬、山本化学工業、フルタ製菓、ノーベル製菓の本社や工場が生野区内にある。
同区の鉄道交通の拠点は「鶴橋駅」で、近畿日本鉄道(近鉄)、JR西日本大阪環状線、大阪市営地下鉄千日前線が乗り入れる。ただし、鶴橋駅は登記上隣の天王寺区にある。この3線を合わせた1日の乗降客数は、およそ38万人である。駅前の繁華街は駅の乗り換え客で賑わうコリアンタウンとして知られている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)