大阪府箕面市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
大阪「北摂地域」のひとつで、大阪圏で住宅地として人気の高い住宅都市
大阪府箕面市(みのおし)は、大阪府の北西部に位置し、東は茨木市、西は 池田市、南は豊中市・吹田市、北は豊能町、兵庫県川西市に接する。市域は東西約 7.1km、南北約 11.7km。面積は47.84平方キロメートルで、その約 6 割が明治の森箕面国定公園を含む北部の山間地域であり、2割弱が住宅地だ。市街化区域のうち、住居系用途地域が全体の約9割を占めている。残りが、箕面駅前や大阪船場繊維卸商団地(コム・アート・ヒル)といった商業地域。同市には、住宅都市らしく“工業系用途地域に指定されている地域がない”という特徴がある。
大阪府・箕面市のマンション
2018年に大阪府・箕面市で販売された新築マンションは7戸で、相場価格は3970万円。中古マンション相場価格は2030万円~3710万円である。
大阪府箕面市の人口は、2019年1月現在、13万8368人で、そのうち外国人は2831人だ。同市、総世帯数は6万1044世帯だった。
箕面市は、近隣の豊中市や吹田市、池田市、茨木市、高槻市などとともに「北摂地域」と呼ばれ、マンション・一戸建てを問わず、大阪圏で住宅地として人気の高いエリアのひとつ。箕面市の人口は現在でも漸増傾向にある。
縄文時代から人々が住み、奈良期に古代官道を中心に発展
箕面市域にはすでに縄文時代、人の集落があったことが石器の発掘などで知られている。弥生時代になると箕面地区からは土器と稲の穂刈りに使った石包丁や住居跡が、白島では土器、如意谷からは銅鐸などが出土している。この頃から市域で米づくりが始まっていたことがわかる。
奈良・平安時代になると市域の南部を古代官道の山陽道ができ、同市域が大きく変化する。一方、奈良時代、後に「箕面富」(いわゆる“富くじ”)で著名となる箕面寺(瀧安寺)が開設された。
南北朝時代、内乱で同地域は戦場となり、それまでの集落は消滅。かわって新しい村々が登場し、林業や製炭などが発展する。その後、豊臣秀吉による農村政策で誕生した21カ村で、酒造米の生産を中心にした農業が発達。山間部と山麓の村々では果樹生産と製炭が盛んとなった。
明治43年、阪急電車開通によって発展した自然豊かな住宅都市
明治の地方制度で兵庫県に属していた同市域は、1871年(明治4年)に大阪府の管轄下に入る。また、1889年(明治22年)の町村制施行でいくつかの村々が合併して止々呂美(とどろみ)・箕面・萱野・豊川村が誕生する。1910年(明治43年)3月の箕面有馬電気軌道(阪急電車)開通によって各地に住宅街ができ、人口も年を追うごとに増加した。
箕面村は戦後、1948年(昭和23年)に町制を施行し箕面町となり、同年8月に止々呂美・萱野村を合併した。さらに、1956年(昭和31年)12月、箕面町と豊川村が合併、大阪府下24番目の市として箕面市が誕生した。1957年(昭和32年)に川合地区を編入、1999年(平成11年)に茨木市の大字粟生岩坂、大字宿久庄の一部を編入し、大字粟生間谷、粟生間谷東三丁目の一部を茨木市に移管して、現在の市域となった。
大阪都心から20km圏にありながら、「明治の森箕面国定公園」や「箕面大滝」などがあり、自然に恵まれた閑静な大阪市のベッドタウン、住宅都市として発展する。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)