大阪府大阪市西区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
職住近接に最適な良質な高層マンションが建ち並ぶ商業地区で住宅都市
西区は大阪市のほぼ中央に位置し、地勢は総体的に平坦だ。区の中央部を流れる木津川を境に、その東側は事務所ビルや店舗が立ち並ぶ商業地域。同区総面積は5.21平方キロメートル。
1869年(明治2年)、大阪市街地は東・西・南・北の4大組に分けられ、現在の西区エリアの大部分は西大組に組み入れられた。1879年(明治12年)の郡区町村編成法により、同区域は大阪府西区(一部北区)と大阪府西成郡になり、1889年(明治22年)の市制・町村制施行にともない大阪市西区という現在の名称になった。
大阪市・西区のマンション
2018年に大阪府・大阪市西区で販売された新築マンションは1773戸。新築マンションの相場価格は3837万円~5737万円。中古マンション相場価格は2380万円~6230万円だった。
西区の人口は漸増を続けており、2019年1月現在で9万9066人、総世帯数は5万8316世帯である。
近代産業が進展し、人口が爆発的に増加していった大阪市は、市街地の先行的な整備を図るため、1925年(大正14年)、東成・西成両郡を大阪市に編入する市域拡張を行なった。市域拡張にともない、旧市域の4区を8区に分区し、編入市域の5区を加えて、大阪市は13区制となった。この際、西区は分割され、一部が新設された港区に編入された。その後も市は区界変更・市域拡張などを実施、現在の西区域は1943年(昭和18年)の行政区画の変更によって確定した。
同区の中央部を流れる木津川を境に、その東側は事務所ビルや店舗が立ち並ぶ商業地域である。東南部の堀江地域では、近年都会的で個性的な店舗が相次いでオープンし、従来の家具店と若者向けのブティックなどが共存、調和するお洒落な街へと変貌を遂げた。一方、西側には、鉄工、物流関係の事業所が数多く立地している。ここには有名な九条商店街もある。
戦後の素早い復興計画で、良好な居住環境と交通至便性を獲得した住宅都市
先の大戦で西区内は、80%にわたる地域が戦災をうけた。しかし、終戦直後から同区内市街地の復興が始まり、1946年(昭和21年)に「復興都市計画」が決定。道路・公園・下水道などの整備や改善をめざす戦災復興土地区画整理事業が実施された。
この結果、従来の不規則な街区が整理され、広幅員の幹線道路やその他の都市計画道路が建設された。その復興計画は、1964年(昭和39年)7月に完了し、業務地域、管理中枢地域としての基盤が形成された。
9万2000平方メートルという区内最大の公園である靱公園も、緑豊かな大公園に整備され、1955年(昭和30年)から一般に開放された。
公共交通の主役である地下鉄は、1964年(昭和39年)中央線の開通に続いて、1960年代に四つ橋線と千日前線が完成、1997年(平成9年)には長堀鶴見緑地線の延伸区間(心斎橋~大正間)も開通して、区内には4本の地下鉄路線と11の地下鉄駅を抱える行政区となった。
道路交通網も充実しており、南北に四つ橋筋、なにわ筋及び新なにわ筋、東西には中央大通、長堀通といった東西南北に通ずる幹線道路網が整備されている。
こうした良好な居住環境や交通の至便性が評価され、西区は大阪市内でも職住近接に適した良質な高層タワーマンションや高層集合住宅の建設が相次ぎ、とくに区域東部の新町、北堀江、南堀江では人口が急増し、小学校の教室が不足するなどの影響が出ている。65歳以上の高齢者人口比率が大阪市24区のなかでもっとも低い、若い街といえる。
なお、日本国内には北は札幌市から南の熊本市まで12の「西区」が存在し、大阪市西区が1889年(明治22年)に誕生した、全国でもっとも古い「西区」である。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)