大阪府門真市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
「蓮根」で知られた農村は、パナソニックの企業城下町として発展
門真市は大阪府北東部にあり、大阪市、守口市、寝屋川市、大東市に接する。およそ3500年前の縄文時代後期に人々が定住したとされ、室町時代末期に「門真」という地名が記録され、今に至る。同市面積は12.30平方キロメートルだ。
大阪府・門真市のマンション
2018年に大阪府・門真市(かどまし)で新築されたマンションは41戸。中古マンション相場価格は2030万円~3010万円である。
大阪府門真市の人口は、2019年1月現在、12万2656人で、総世帯数は6万2299世帯だった。そのうち外国人登録者は3024人、1565世帯である。
縄文後期からの歴史ある地域は、明治期まで「蓮根」で知られる農村だった
同市域に人々が住み始めたのは約3500年前。1989年(平成元年)、市の西部「西三荘遺跡」の発掘調査で発見された縄文時代後期の土器から明らかになった。
市の東部「大和田遺跡」では1963年(昭和38年)、弥生時代の銅鐸3個が出土。その前年には、市の南部「三ツ島遺跡」では全長10mを超える巨大な「くり舟」も見つかっており、門真市域がかなり古くから発達してきたことがわかった。
平安時代後期になると、河内8カ所に大和田庄・馬伏庄・岸和田庄などの荘園ができ、現在の地名が記録に残る。低湿地が徐々に開拓され、鎌倉・室町時代にもなると河内平野中央部の最も低湿な池沼地を除いて、ほぼ現在見られる集落が成立していたと思われる。
江戸時代、同市域は天領地となり、明治期に河内県、堺県となり、江戸後期には菜種や木綿の栽培でも発展を遂げ、「蓮根」栽培が活発になる。
その蓮根は、明治時代になり、「加賀蓮」「備中蓮」品種の導入によって蓮根栽培は最盛期を迎え、全国的に「河内蓮根」の名が広まる。1881年(明治14年)に大阪府に属する。1889年(明治22年)の町村制施行にともない門真村となった。
京阪電車の開通で門真の産業が大きく発展
1910年(明治43年)、京阪電車の開通で門真の様相は一変。道路の整備とも相まって工場などの誘致が進んで産業が大きく発展する。
1933年(昭和8年)、この地に松下電器産業(現在のパナソニック)が本社を設立してからサプライヤーを含む関連産業が進出、松下電器の企業城下町、弱電産業の街として発展した。現在でも、年間7兆円を超える売上を示すパナソニックは、門真市大字門真1006番地に本社を置いている。
1939年(昭和14年)に門真町となった。1956年(昭和31年)の町村合併によって現在の市域となる。松下電器産業の創業者である松下幸之助氏は、門真市の名誉市民である。
大阪都心から約20分という利便性から人口が増加、昭和30年代に急速に都市化した。1963年(昭和38年)、大阪府27番目の市として人口6万6582人で市制を施行した。以降、人口は急増し1970年(昭和45年)に全国の自治体で1位の増加率を記録した。同市の人口は、バブルが弾け飛んだ1990年(平成2年)の14万3287人をピークに漸減している。
門真市は人口10万人を超える自治体だが、市内に大学や私立の高等学校、小学校・中学校はない。公立(市立)小学校・中学校は、全校でエアコンが整備され、耐震工事も完全終了している。
同市の鉄道網としては、北部を京阪電車が走り、市内に西三荘・門真市・古川橋・大和田・萱島駅がある。南部には、唯一の地下鉄駅である長堀鶴見緑地線の門真南駅、西部には、大阪モノレール門真市駅と市域に7つの駅がある。
主要道路には、京阪・近鉄のバス網がある。幹線道路としては、中央部を東西に国道163号が横断、西部を南北に府道大阪中央環状線や近畿自動車道が縦断。2010年に第2京阪道路が全線開通した。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)