大阪府豊中市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
日本初のニュータウン建設で急速に発展した郊外型住宅都市
大阪府豊中市は、府の中央部の北側、神崎川を隔て大阪市の北に位置する。東は吹田市、西は尼崎市、伊丹市、北は池田市、箕面市に接する。地形は北東の千里山丘陵部、中央の豊中台地、西・南の低地部とからなる。千里山丘陵は箕面山脈の断層崖下に半円形状に南に開き、海抜134メートルの新千里北町から大阪湾に向かってゆるく傾斜している。
豊中市の総面積は36.6平方キロメートル。2019年1月現在、豊中市の人口は、40万6593人で、総世帯数は19万512世帯だった。
豊中市は、1936年(昭和11年)に豊中町、麻田村、桜井谷村、熊野田村が合併、豊中市として市制施行した。2012年(平成24年)同市は、中核市に移行。2016年(平成28年)10月15日で80周年を迎えた。2017年(平成29年)3月にかけてさまざまな記念事業を開催した。
大阪府・豊中市のマンション
2018年、大阪府・豊中市で販売された新築マンションは312戸。同市で販売した新築マンションの価格相場は、4454万円~5855万円で、中古マンション相場価格は1960万円~6580万円だった。
大阪府豊中市は、府の中央部の北側、神崎川を隔て大阪市の北に位置する。東は吹田市、西は尼崎市、伊丹市、北は池田市、箕面市に接する。地形は北東の千里山丘陵部、中央の豊中台地、西・南の低地部とからなる。千里山丘陵は箕面山脈の断層崖下に半円形状に南に開き、海抜134mの新千里北町から大阪湾に向かってゆるく傾斜している。
大阪市中心部から比較的近く至便な住宅都市として発展
大阪都市圏のなかでも、大阪市中心部から15km圏をという好立地のおかげで、早くから郊外型住宅地として発展してきたエリアだ。
市内は阪急電鉄阪急宝塚本線、北大阪急行が走り、市北部を大阪高速鉄道(大阪モノレール)が東西に走る。道路も名神高速道路や中国縦貫道、阪神高速池田線などの幹線道路が通っている。また、大阪国際空港(通称:伊丹空港)があり、関西国際空港開港後に一時定期便が減ったが、大阪都心から10km圏内という利便性が見直され、関西国際空港から国内線主要路線を中心に再び定期便が移転就航、国内線の主要空港となっている。このように豊中市は交通インフラが非常に充実した自治体だ。
日本初のニュータウン、文教都市としての顔も持つ「とよなか」
また、私立大阪音楽大学、国立大阪大学豊中キャンパスなどがあり、文教都市としても高く評価される。
なお、全国高校野球大会の1915年(大正4年)第1回大会は、豊中グラウンド(豊中球場)で開催された。同じように高校ラグビーの会場といえば現在は、東大阪市の近鉄花園ラグビー場がおなじみだが、大正7年(1918年)1月12日、「第1回日本フートボール優勝大会」が開催されたのは、高校野球発祥の地でもある豊中グラウンドだった。
当時、「フートボール」と呼称したフットボールは、「ラ式」と呼ばれたラグビーフットボールと「ア式」と呼ばれたアソシエーションフットボール(現在のサッカー)の総称で、第1回大会もラ式とア式の合同大会だった。この第1回のラ式参加校は全同志社、三高、全慶応、京都一商のわずか4チームだったと伝えられる。
同市東部から吹田市にまたがる千里丘陵に大阪府が開発したわが国初の本格的なニュータウンが「千里ニュータウン」だ。総面積1160ヘクタール(豊中市域は369ヘクタール)、計画人口15万人(豊中市域は5万人)。1962年(昭和37年)11月に街びらきしたニュータウンだ。豊中市域と吹田市桃山台・竹見台地区は、新住宅市街地開発法(昭和38年7月公布)に基づく最初の事業だった。
「近隣住区」など当時の最先端の都市計画理論を取り入れた実験都市でもあり、緑に恵まれた整然とした街並みが形成されている。
2012年(平成24年)に千里ニュータウン開設50年を迎え、この間にニュータウン内の人口は1975年(昭和50年)の13万人(豊中市域は4.3万人)のピークに達し、2005年(平成17年)には9万人(豊中市域は2.8万人)まで減少した。が、豊中市は千里中央地区の再整備をはじめ、千里ニュータウンの再生に取り組んでいる。集合住宅の建替えなどが本格化し、新たに供給された住宅には子育て世代の入居も多く、2010年(平成22年)、豊中市域の人口は3.2万人と回復してきた。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)