大阪府岸和田市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
大阪府で3番目に市制施行した、「岸和田だんじり祭」のある工業都市
大阪府岸和田市は、岸和田市は古くから城下町として栄え、300年の歴史と伝統を誇るだんじり祭で有名な、個性豊かな街だ。また、和泉葛城山から大阪湾へと変化に富んだ多様な自然に恵まれ、四季折々の表情を持った街でもある。
行政の特徴として、永住外国人と国内在住期間が3年を越え満18歳以上で3ヵ月以上市内に住む定住外国人に住民投票の投票権を認めている。同市キャッチフレーズは、「世界にいちばん近い城下町」だ。
大阪府・岸和田市のマンション
2018年、大阪府・岸和田市で販売された中古マンション相場価格は1470万円~2940万円だった。
2019年1月現在、岸和田市の人口は、同市の発表によると19万5350人で、総世帯数は8万7173世帯である。岸和田市は大阪府南部に位置し、面積は72.68平方キロメートル。和泉(泉州)と称される府南西部に位置し、大阪湾から和泉山脈に至る東西7.6km、南北17.3kmの細長い市域の自治体だ。
寛永年間に城下町として栄えた、岸和田だんじり祭の街
岸和田市域は、寛永年間(17世紀初め)以降岡部氏の城下町として発達し、岡部氏が岸和田城・三の丸に伏見稲荷を勧請し、岸和田だんじり祭の起源と言われる稲荷祭を行なった。
岸和田を一躍有名にした「岸和田だんじり祭」は、1703年(元禄16年)、時の岸和田藩主岡部長泰が、前述したように京都伏見稲荷大社を岸和田城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願し、行なった稲荷祭がその始まりと伝えられる。約300年の歴史と伝統を誇る祭りだ。曳き手が走り、速度に乗っただんじり(地車)を方向転換させる「やりまわし」を見所として、多くの観光客を集める。
幾つかの神社の祭りの総称で、基本的には地元の神社でその年の五穀豊穣を祝う祭り。全国的にも知名度が高く、日本を代表する祭りのひとつである。毎年2日間で約60万人もの観光客が訪れる。
明治に入って廃藩置県により岸和田県が設置され、1871年(明治4年)に堺県に編入され、1881年(明治14年)、大阪府に編入となった。1889年(明治22年)の全国市町村制施行に伴い、同市域は岸和田南町、岸和田本町、岸和田堺町、岸和田魚屋町、岸和田北町、岸和田並松町が合併して、南郡岸和田町となった。
その後も編入・合併を繰り返し、1922年(大正11年)、全国で87番目の市、大阪府3番目の市として市制施行した。
戦後、岸部を埋立て、大阪鉄工金属団地建設しで企業誘致を図る
大阪湾に臨む岸和田市の中心市街は、明治中期以後は泉州綿織物を主とする紡織工業都市として発展したが、戦後衰退する。代わって、市では独自に沿岸部を埋立て、現在の大阪鉄工金属団地を建設し、企業誘致に努め、産業転換を図った。金属、機械器具、レンズ工業も行なわれ、臨海部の埋立地には1966年(昭和41年)以降木材コンビナート、鉄工団地が建設された。
和泉山脈北麓と台地では溜池灌漑による米のほかタマネギ、ミカンや桃、花卉などの農産が盛んだ。
古くから「城とだんじりの街」として知られる岸和田だが、最近では臨海部の浪切ホールやベイサイドモール、山間部の「牛滝温泉・いよやかの郷」が、市の新しい顔としてリゾート客で賑わっている。
関西国際空港から車で約15分という距離にあり、大阪都心部からはJR阪和線、南海電鉄南海本線、阪神高速湾岸線、阪和自動車道が通っている。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)