大阪府堺市東区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
古くからの街道が残る堺市にあって、計画的に整備された田園住宅都市
大阪府堺市東区は、2006年の大阪府堺市、政令指定都市移行にともなって誕生した堺市7区のうちのひとつ。同区は、堺市域の中央東部に位置しており南部は大阪狭山市と接する。
南海高野線沿線を中心とした市街地、農地などからなっており、初芝や大美野など昭和初期に計画的に開発・整備された住宅地が広がる。一方、農村地域では、古い街並みやため池などの自然環境が多く残っている田園都市だ。
一方、南海高野線北野田駅を中心に商業施設が集積し、初芝駅周辺では高層マンションなどが建ち並んでいる。
古代、堺市域では仁徳天皇陵古墳をはじめとする百舌鳥古墳群が築造された歴史ある地域だ。その後、中世には海外交易の拠点、経済、文化の中心地として繁栄してきた。
大阪府・堺市東区のマンション
2018年、大阪府・堺市東区で販売された新築マンションは205戸。同年、同市内の中古マンション相場価格は2100万円~2800万円だった。
2019年1月現在、堺市東区の人口は、同市の発表によると8万6547人で、総世帯数は3万9239世帯である。中区面積は10.49平方キロメートル。堺市7区のなかでいちばん小さな面積の行政区だ。
旧道沿いに鎌倉初期の街並みが残る
堺市域において古墳時代、人物埴輪や円筒埴輪づくりが盛んに行われており、埴輪を焼く窯跡も見つかっている。また、高野山に通じる西高野街道沿いに集落が形成され、現在でも、一部に旧街道の面影を残す。
なかでも西高野街道は、紀州高野山に至る旧街道で、和泉堺(現堺市)を起点として、高野参詣路として用いられた街道だ。この道が整備された時期は不明だが、平安後期から鎌倉初期には高野参詣に使用され始めていたと考えられている。関茶屋の辺りでは、今も往時の趣を感じることができる。
明治期になり、1896年(明治29年)に7つの郡が統合して南河内郡が成立。戦後の1950年(昭和25年)に旧丹南郡の野田村と大艸村(大草村)が、日置荘町と登美丘町にそれぞれ改編し、1958年(昭和33年)に南八下村の西部に続いて堺市に編入した。冒頭で記したように、2006年に堺市が政令指定都市に移行して東区が誕生した。
欧州の街並みを参考に開発された美しい住宅都市
北野田駅周辺の住宅地として名高い東区大美野地区は、20世紀初頭のヨーロッパの住宅地を参考に、昭和初期に開発された大美野田園都市の住宅街が広がる。中央広場噴水を中心に8本の放射道路が設けられ、それらを同心円状に連絡する街区割りが特徴的。現在も生垣の緑が多く美しい街並みだ。また、区内には、このような円形の平面交差点が3カ所あり、そのうち1カ所(東区日置荘西町2丁)が、欧州で一般的なランナバウト、つまり信号機のないロータリーとなっている
東区域は、もと南河内郡の南八下村、日置荘町、登美丘町だったが、昭和30年代に堺市と合併した。近年では、南海高野線北野田駅前の再開発事業により、東図書館、東文化会館(生涯学習施設・文化ホール)、商業施設、共同住宅などが次々と完成し、近隣市を含む市東南部地域の核として発展している。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)