大阪府大阪市鶴見区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
「花博」の会場となった鶴見緑地が区のシンボル、市内随一の緑豊かな行政区
大阪市鶴見区は、大阪市の東端に位置し、西を城東区、北西を旭区、北を守口市と接し、北東を門真市、東を大東市、南を東大阪市と城東区に接する。
現在の鶴見区域は古代、河内湾と呼ばれる海だったとされる。その後、淀川と旧大和川のもたらす土砂の堆積によりできた低湿地帯となり、淀川はしばしば氾濫する暴れ川だったと伝えられている。
区名称の由来は、鎌倉時代に源頼朝が富士山の裾野で巻狩を行ない、その際に千羽の鶴に金の短冊を付けて放したところ、大坂まで飛来して住み着いた。その鶴を見物に来る人が多く、「鶴見」という呼び名がついたという言い伝えから、区名としたとされる。
大阪府・大阪市鶴見区のマンション
2018年に大阪府・大阪市鶴見区で新たに販売されたマンションは376戸で、相場価格は4506万円~4784万円だった。中古マンション相場価格は2240万円~3360万円である。
同市人口は、2019年1月現在、11万3026人で、総世帯数は5万914世帯。区の総面積は8.16平方キロメートルである。
江戸時代に現在の地名の由来となった村ができ、寝屋川には野崎観音参りの舟と人とが行き交い、明治のなか頃までは縦横に水路がとおる農地が広がる農村地帯だった。
1895年(明治28年)、いち早くJR学研都市線の前身である浪速鉄道が開通
1895年(明治28年)、現在のJR学研都市線の前身である浪速鉄道が開通し、1932年(昭和7年)に電化され、同区域南部は急速に発展した。ただ、区の北東部は1960年代まで一面農地だったという。1974年(昭和49年)に城東区から分区して鶴見区が誕生したころでも、区域は農地が多い鄙びたエリアだった。
同区域は河川・水路が多く、寝屋川が東西に流れ、西三荘都市下水路と古川が北から南に流れて寝屋川に合流し、東部には井路(いじ)と呼ばれる古くからの水路が残る。
道路交通網は新庄大和川線、焼野中茶屋線、大阪中央環状線が南北に、都島茨田線(花博通)、東野田茨田線(鶴見通)、片町徳庵線が東西に走っており、幹線道路として機能している。鉄道交通は、区の中央を地下鉄長堀鶴見緑地線が、南部をJR学研都市線(片町線)が東西に走っている。
大阪市内で随一、貴重な自然環境が多く残る住宅都市として発展
区の北部には、1990年(平成2年)に「国際花と緑の博覧会」が開催された都市公園として大阪府最大クラスの規模をもった花博記念公園鶴見緑地があり、プール、運動場、球技場、バーベキュー広場、乗馬苑、パークゴルフ場、生き生き地球館、自然体験観察園などの施設が立地し、豊かな自然環境がのこる憩いの場として市民に親しまれている。
ただ、東部にはいまなお農地が点在し、北部の鶴見緑地とともに貴重な自然環境となっている。が、近年、農地の宅地化により住宅の建設が進む。
1990年(平成2年)に開催された入場客数2300万人を誇る「国際花と緑の博覧会」以降、地下鉄長堀鶴見緑地線の延伸、JR東西線の開通、JRおおさか東線の開通などで交通の便が飛躍的に向上。公営・民営の住宅の新築・建替、大規模中高層マンションなどの建設、東野田茨田線の拡幅などの事業の進捗により住環境が充実し、人口増加が進んでいる。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)