大阪府大阪市天王寺区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
593年に聖徳太子が創建した四天王寺を拠りどころとする行政区
大阪市天王寺区は、大阪市のほぼ中央、都心部の南東に位置し、大阪環状線の内側の区のひとつだ。北・西側は中央区・浪速区、東側は東成区・生野区、南側は阿倍野区ならびに西成区に接する。
同区は南北にのびる帯状の上町丘陵と呼ばれる台地にある市街地だ。人々は縄文弥生の時代からこの辺りに定住し、大阪聚落の最も古い発生地だ。また、古代国家の時代から瀬戸内海からの外国文化の玄関として発展し、政治経済の要衝の地でもあった。
大阪府・大阪市天王寺区のマンション
2018年に大阪府・大阪市天王寺区で販売された新築マンションは1090戸で、相場価格は4383万円~5704万円だった。中古マンション相場価格は2590万円~6020万円だ。
2019年1月現在、大阪市天王寺区の人口は、7万6759人で、総世帯数は3万9495世帯。同区人口は1950年代に8万5000人近くまで増えたが、その後都市化で減少。1980年で5万5277人まで減少して底を打ち、その後の緩やかに増加傾向を示し、近年は都心回帰傾向が顕著となり急増している。
天王寺区の総面積は4.84平方キロメートルで、浪速区(4.39)、東成区(4.54)、福島区(4.67)に次いで狭く、大阪市24区中で4番目に小さな面積の行政区である。
江戸時代から住宅地として発展、現在でも閑静な住宅・文教都市
1925年(大正14年)4月に大阪市が周辺の44カ町村を併合した、いわゆる大阪市第2次市域拡張が行なわれ、おおむね当時の南区から分かれ天王寺区が創設された。区名は聖徳太子の創建(593年)による四天王寺の存在によって、付近一帯が古来より天王寺の名で呼ばれていたことに由来する。
江戸時代、明治期にかけて早くから住宅地化が進み、とくに明治以降は多くの学校や病院が立地したため、現在でも比較的閑静な住宅街である。一般的に天王寺と呼ぶエリアは、天王寺駅と南に接する大阪阿部野橋駅周辺を指し、ほぼ同じ範囲を阿倍野(あべの)とも呼ぶ。
同区は、天王寺公園をはじめとした緑豊かな公園が多く、大阪教育大学および同附属高校をはじめとし、大学から幼稚園まで70に近い教育施設が存在する文教地区でもある。同時に美術館・動物園などの文化施設にも恵まれた街だ。
医療施設にも恵まれ、大阪赤十字病院・大阪警察病院・NTT西日本大阪病院などの大病院が多く、大阪市を代表する設備のすぐれた病院が数多く存在している。
天王寺&上本町、両ターミナルを核とする国際都市の顔も
1889年に天王寺駅が開業。現在、天王寺ターミナルには、JR関西本線を中心として地下鉄、私鉄等の各線が集結しており、地下鉄御堂筋線・谷町線を含めると1日の乗降客数40万人超を誇る大阪市有数のターミナル駅だ。付近は百貨店、商店街、地下街などの商業地としても発展し、大阪でも有数の繁華街を形成している。同時に、1994年(平成6年)9月に開港した関西国際空港によって、国際都市大阪の南玄関口にもなった。
一方で上本町ターミナル周辺は、都市整備が進み、近代的な街へと変貌を遂げ、大阪国際交流センターや大阪日本語教育センター(関西国際学友)などの活動が、大阪の新しい文化・情報の発信基地として注目を集める。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)