大阪府大阪市北区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
関西随一の巨大ターミナルを擁し、大規模オフィスが集積する高度経済圏
大阪市北区は、大阪24区のひとつで、大阪の玄関口に位置し、北は淀川、東は大川、南は土佐堀川と三方を大きな川に囲まれ、水運と豊かな用水を生かして今日まで発展してきた。西は福島区に隣接し、面積10.34平方キロメートルコンパクトな地域に高度な経済圏が凝縮したエリアとなっている。
大阪府・大阪市北区のマンション
2018年、大阪府・大阪市北区で販売された新築マンションは2913戸。近年、大阪市内でマンション分譲がもっとも活発なエリアだ。同区で販売した新築マンションの価格相場は、4078万円~5583万円で、中古マンション相場価格は2520万円~9030万円だった。
2019年1月現在、北区の人口は、12万7346人だった。総世帯数は7万8110世帯。バブル期には地価高騰で減少傾向にあった常住人口も、現在は都心回帰指向が強くなって超高層マンションなどの建設が相次ぎ、人口は増加傾向にあり、2005年7月時点の北区の人口は再び10万人を突破した。区内の角田町は西日本でもっとも地価が高いエリアとなっている。
大阪北区のなりたち
大阪北区のエリアは江戸時代、「水の都」「天下の台所」と称された大坂の拠点として栄え、中之島や堂島付近には蔵屋敷が立ち並び、天満青物市場、堂島の米市場等で賑わっていたという。
同区は旧北区として1879年(明治12年)に発足、1889年(明治22年)の大阪市制の施行に伴い大阪市北区となった。旧大淀区は、1925年(大正14年)の第2次市域拡張により東淀川区となり、1943年(昭和18年)の分増区によって淀川左岸区域が東淀川区から分かれて大淀区となった。
1989年(平成元年)2月13日、旧北区と旧大淀区が合併して現在の北区となった。
戦後の大阪復興計画の中心で大規模経済圏として発展
旧北区は江戸時代から都市として発展したエリアだ。昭和初期になると大規模オフィスビルが建ち並び、阪急や阪神など電鉄会社のターミナル駅に百貨店が併設され、周辺に複合商業施設や映画館、劇場が建ち並び、伝統的な商業地区である心斎橋周辺とは異なる大阪の新しい都心となった。
同区の中心部に位置するJR大阪駅周辺は、先の大戦で大空襲に襲われ、ほとんどを消失。が、終戦の翌月、1945年9月に大阪市はすぐさま復興局を設置し、大阪都市復興計画を作成、復興に着手した。北区内でも御堂筋の北進 (新御堂筋)や天神橋筋の拡幅などの道路計画、戦災復興土地区画整理事業が進められた。
この戦後の復興で大阪駅&梅田駅周辺は、阪急・阪神・地下鉄などが乗り入れる関西一のターミナルとなり、超高層ビルが並ぶ一大ビジネス街に成長した。周辺には関西一の規模売上を誇る百貨店、ホテルや飲食店が集まり西日本最大の地下街が広がるなど「キタ」の愛称で親しまれる大規模ショッピング街に成長した。
東部は、大阪天満宮あたりから南北に伝統ある天神橋筋商店街が広がり、大川沿い一帯は桜の名所として有名だ。4月中旬の一週間、造幣局の南門から北門にかけて一般開放され、見事な「桜の通り抜け」を楽しむことができる。
また、2006年(平成18年)9月、大阪天満宮敷地内に関西では戦後60年ぶりの復活となる、落語専門の定席「天満天神繁昌亭」がオープンし、笑いと活気に満ちた大阪の新しい文化拠点として注目が集まっている。
同区内には新聞各社の大阪本社も数多く、朝日新聞や毎日新聞、読売新聞をはじめスポーツニッポン新聞社、日刊スポーツ、スポーツ報知などが軒を連ねている。また、積水ハウスや大和ハウス工業などの大手ハウスメーカーも本社を置く。
都心回帰、職住近接の都心の住居地域として注目
北部の中津地区をはじめ長柄東一帯のリバーサイド整備事業は、大規模高層マンションの建設や環境整備が進められており、都心回帰の流れから都心型の住居地域として注目されている。
区南部の中之島には、2002年(平成14年)に保存・再生工事を終えた国の重要文化財に指定されている大阪市中央公会堂がある。大阪市役所は中之島公園にあり、日本銀行、商社などのビルと一体となって公園の美しい景観を作り出す。
西梅田地区では近年、複合商業施設が次々にオープンし、超高層ビルが集中する。また、梅田貨物駅の跡地について、2004年(平成16 年)に「大阪駅北地区まちづくり基本計画」が発表され、関西再生のための拠点にふさわしい知識、活力、風格、文化、交流を生み出す土地利用を目指して開発が進められている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)